忌中明け

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忌中明けの儀式の、神道と仏教の違いって?!

忌中明けとは、仏教では四十九日(故人の命日から49日目)、神道では五十日祭(故人の命日から50日目)が終了し、忌中明けの儀式を行うことによって忌明けとなることをいいます。

 

元々日本は神式で葬儀を行ってきましたが、仏教伝来以降、急速に仏式が普及し、江戸時代になるとキリシタン対策のための寺請制度(てらうけせいど。必ずどこかの寺への所属を強要する制度)により仏式が強制されていきました。

 

その後、明治時代になると神式が奨励されたものの、明治憲法では信教の自由は制限付きで保証された為、強制されることはありませんでした。現在では、仏式の葬儀が一般的ではありますが、儀式の持つ意味の分かり易さや経済的負担が軽いことから、神葬祭が増える傾向にあるようです。

 

それでは、忌中明けの儀式の前に、一番根幹的な違いである、仏教と神道の死生観についてみていきましょう。

 

 

<神道の死生観とは>

 

神道は、「人はみな神の子であり、神の計らいにより母の胎内に宿り、この世に生を受けるが、この世での役割を終えると神々の住む世界に帰り、子孫の守護神となる」ものと考えています。

 

よって神葬祭とは、「愛する人」から「家の守護神」になって頂くための儀式といえましょう。また、神道において死は「けがれ」であり、聖域である神社で葬祭を行うことはなく、故人の自宅か斎場で行います。

 

よく勘違いされる方が多いですが、「けがれ」とは「不浄」とか「不潔」を意味するのではなく、愛する人が亡くなったことの悲しみから、生命力が減退した状態の「気枯れ」であり、「けがれ」、なのです。

 

 

<仏教の死生観とは>

 

仏教は、人が亡くなると、亡くなった日から7週間(四十九日間)は、この世とあの世を彷徨うといわれています。この期間に遺族が心から冥福をお祈りすることにより、無事に極楽浄土へ到達出来る、と考えられています(注:浄土真宗は除きます)。

 

ただ、全員が極楽浄土へ辿り着ける訳ではなく、人間界で生きていた頃の所業により、六道(りくどう。地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人間道、天道)を輪廻し、仏教を極めた者は六道から解脱することが出来る、と言われています。

 

ただ、この輪廻思想は仏教の統一思想ではなく、現代の仏教者や僧侶、仏教研究者の中には「釈迦は輪廻を前提として語ってない」と主張する人も少なくないようです。宗派によっても教義の解釈が分かれていたり、一概には言えないようです。

 

 

<神道の忌中明けの儀式とは>

 

故人の命日から50日目を「五十日祭(=墓前祭。通常墓前で行われる儀式の為)」といい、忌中明けの儀式として霊祭をしめやかに行います。

 

 

墓前に米と水、故人の好きだった食べ物を供え、神官は祭司の奏上を行います。その後、参列者は玉串奉奠(たまぐしほうてん)を行い、併せて「合祀祭」も行います。

 

「合祀祭」とは、霊璽(れいじ。仏式でいう位牌にあたるもの)を祖霊舎(それいしゃ。神棚)に移し、祖霊と一緒に祀る儀式です。

 

「清祓いの儀」は通常の生活に戻るための儀式で、かつては五十日祭の翌日に行っていましたが、現在では五十日祭と同日に行うことが多いようです。

 

「手水の儀」や「祓詞(はらいことば)の奏上、各部屋のお祓いなどの儀式の終了後、神棚の封印を外し、忌中明けとなります。

 

 

<仏教の忌中明けの儀式とは>

 

四十九日法要の流れは、宗派によりかなり違いますが、代表的な例は、僧侶の読経から始まり、参列者の焼香、その後僧侶の法話で終了となります。

 

この日に納骨を行う場合は、法要の後墓地に行き、僧侶立会いのもとで納骨を行います。法要後は参列者をもてなす意味で、会席の場を設けます。

 

会席には僧侶もお招きしますが、辞退された場合は「御膳料」「お車料」「謝礼(お布施)」を法要終了後にお渡しします。

 

 

<総論>

 

服装は喪主とその家族は喪服を着用し、参列者は略式喪服や地味な服装でも問題ありません。宗教は違っても、忌中明けの大切な儀式であることは変わりありません。

 

 

盛大に行うことが故人に対する愛情の表現なのではなく、大切なのは故人の冥福を祈り、故人を偲び忘れない心です。

 

静かに手を合せつつ、残された方々は亡くなった方の分まで、今後の人生を大切に幸せに生きていく決意をすること。それが一番の亡くなった方への供養なのかもしれません。

 

 


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