忌中や喪中の間、忘年会に誘われたらどうしよう!
喪中(1年以内に身内を亡くした人)や忌中(仏教では49日、神道では50日以内に身内を亡くした人)の間は、「身を慎み、亡くなった方の喪に服すべき」と言われています。
ただ、プライベートはともかく、仕事関係で忘年会に誘われることも多いですよね。忌中や喪中では忘年会の出席は本当にいけないのでしょうか?それにしても、そもそも忘年会って、なぜ開催するんでしょう?
<忘年会ってなぜ開催するの?>
現在の忘年会とは、年内の苦労を忘れ、その慰労を兼ねて年末に行われる宴会のことです。特に宗教的な意味はなく、日本独自の風俗の一種だそうです。(ドイツやフランスなど欧米では聞きませんしね)
忘年会の起源については、はっきり判っていませんが、「としわすれ」という言葉を最古に用いたのは室町時代の皇族だそうです。年末に開催された連歌会が大盛り上がりで、「としわすれのようだ」と記載されていることから、この頃から既に酒を飲んで乱舞する行事が存在していたようです。
江戸時代には武士などの特権階級で、一年の憂さを晴らす行事になったようですが、現代のお祭りムードのどんちゃん騒ぎに変容したのは明治時代になってからだそうです。
これは明治時代、故郷に帰らず東京に残っていた学生やボーナスが出たことで懐が温まった上、御用納めに入った官僚が、「じゃあ、ぱーっと飲もうじゃないか!」と始めたことがきっかけのようです。
これをキッカケに、「無礼講」などのキャッチフレーズで全国に広まっていった、と言われています。なんだか微笑ましいエピソードですね。ちょっと横道に逸れますが、「無礼講」も見てみましょう。
<無礼講って、本当に無礼を働いても許されるの?>
会社の忘年会や宴会では「今日は無礼講だぞ!」などと言う上司がいますが、無礼講とはどういう意味なのでしょう?広辞苑には「貴賤・上下の差別なく礼儀を捨てて催す酒宴」と書いてあります。
元々は後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒す気持ちを探る為に、これは!と思う武将を招いた遊宴に由来すると言われています。もちろんこの遊宴は世を欺く仮の姿であり、実態は作戦会議の場でしたが、常識や礼儀を欠いた様子に人々は驚き、その様子を「無礼講」と言ったと伝えられています。
当時の宴席では、席順が偉い人順に決まっていて座席にも違いがあり、一度その席に座ると決して他の席に移ることはありませんでした。ところがこの宴会ではその「しきたり」を無視し、「本来席を立ってはならない者が席を立ち、酒の酌をした」のです!これは当時の人々は驚くでしょうね!
ということで、無礼講とはそもそも「自分の席を立ってお酒を注いで廻る」という可愛いものだったのです。決して何を言っても許される、とかハメを外しても大丈夫!というものではないので、ご注意を。
現在も「無礼講」の名の下に、忘年会などの酒宴が開催されますが、無礼講には「下位の者の本心を探る為に考え出したもの」という上位者の知略である側面があります。ぽろっ!と本音を言ったばかりに大惨事になることもありますので、無礼講でも立場をわきまえた理性ある行動が大切なのですね。
<忌中に忘年会に出ても大丈夫?>
横道が長くなりましたが、そもそも「忌中に忘年会に出ても大丈夫?」と悩むこと自体、あなたは既に忌中や喪中ではありません。忌中や喪中とは一切の娯楽を絶って、亡くなった方の冥福を祈る服喪の期間です。
悲しみが深ければ深いほど、宴会に参加したいとは思いませんし、迷うこともないと思います。「しきたり」としてはともかく、そもそも現代の法律上では何の縛りもないのですから、遺族の心の問題と言えましょう。
宴会の主催者が「しきたり」に拘り、独特な宗教観を持っていて、あなたが忌中や喪中だと知った途端、「忌中や喪中に忘年会に出るとは如何なものか?」と言っているのであれば、欠席したほうが良いかもしれません。
亡くなった方の死を悼み、悲しみが深すぎて忘年会に出席出来ない場合は欠席し、そうでない場合は自分の心の状態で出欠を決めていく。他人が決めたモノサシではなく、全てはあなた自身の判断で決めるものなのではないでしょうか。